いつもの水。

以前、暑い日に立ち寄られた若い男の子が帰り際に「珈琲すっごく美味しかったです!」とニコニコしながら、ごちそうさまでした、とお店を出られたのですが、すぐに「あ!」と言って振り返り「お水も、すっごく、美味しかったです!!!」とそれはそれはキラキラとした笑顔で帰っていかれました。

お水・・・そうかな・・・言い忘れた!と思うほどの・・?・・いや、もしかしたら何か違うメッセージではないか・・美味しくなかったことを暗に伝えようという優しさか・・? と何やら不安に駆られ、思わず飲んで確かめてしまいましたが、いつものお水で一安心。

ただただそのまま、お水のことにまで気持ちを伝えてくれた、まっすぐキラキラした眩しい時間。

とても久しぶりに撮影のためだけのご来店があって、お連れの方は何も注文せず、お一人分のオーダーをお二人で一生懸命カメラに収めて、黙ってすぐに帰られていきました。

危うく心が死にかけましたが、その後ゆっくり本を読みに来てくださった方や、いつもの時間を過ごしに来ていただいた方々の光景があって、『モモ』が灰色の男たちから時間を取り戻してくれたように、いつもの私の時間も動き出しました。

当たり前のように静かな良い時間を過ごしてくださる皆様に本当に救われる毎日。

光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。

ー『モモ』